【旅の計画】プラハ2泊3日
いよいよ旅が迫ってきました!プラハといえば北のローマ」「百塔の街」「 黄金のプラハ」「建築の宝石」などなど、たくさんの異名がつくほど美しい街。
行ったことのある人も多いだろうに、意外くらい情報量の少ない場所でもあります。
なんでだろ…というよりイタリアの情報量が多すぎるのかもしれませんね(笑)
あと、最近ではウィーン、ブダペストとともに中欧3都市周遊などツアーも多く組まれているので行きやすくなっていますが、1990年代初頭までは社会主義国だったということもあり、自由に行き来できるようになってからの歴史が浅いからなのかもしれません。
プラハといえばチェコの首都。しかし、チェコといえばわたしは第一次世界大戦以降、ドイツやソ連に支配され国自体が何度も失われた場所というイメージが強いんですよね。
ボヘミアンといえば「流浪の民」ですが、まさにチェコはボヘミアの土地、流浪したくなくても歴史の中で翻弄され続けてきた地域なんです。
第二次世界大戦以降も社会主義体制に入り、常に自立した国でありながらもソ連や東独に脅かされてきました。
一度、民主化しようと立ち上がった「プラハの春」もソ連の強制介入の元に失敗、夢に見た民主化と本当の意味での独立は1990年代に入るまでの長い間、実現できませんでした。
わたしが小学生の頃はまだ「チェコスロバキア」だったんですが、いつの間にかチェコとスロバキアに分かれていましたね。兄弟みたいなこの2つの国はもともと1つの国で、一度分かれてまた一つになり、さらに分かれたという紆余曲折があります。
そして、プラハは神聖ローマ帝国の首都だった場所でもあるんですよね。
神聖ローマ帝国は、もともと古代ローマから続くローマ帝国が東と西、2つに分裂したうち西ローマ帝国の流れに通じる国家です。西ローマ帝国はローマ帝国の西側領土をそのまま引き継ぐ形で、イタリア北部からドイツ、オーストリア、チェコ周辺に広がる勢力となりました。
ところで、東ローマ帝国は15世紀、トルコのオスマン帝国に滅ぼされるまで続きましたが、西ローマ帝国の滅亡は非常に早く、すでに5世紀には崩壊していたんですね。
その後、西ローマ帝国の一部だった各領土で様々な争いが起こり、最終的にフランク王国のカール大帝が一つにまとめあげて神聖ローマ帝国を標榜するようになりました。
カール大帝の治めた国家が「ローマ帝国」の名前で呼ばれるようになったのは、彼がカトリックの信仰と権力を認め、ローマ法皇より皇帝の称号を与えられたからだといわれています。
不思議ですよね、ローマはかつてキリスト教を迫害し、ユダヤ人で神の子であるキリストを処刑したと聖書にしっかり書いているにも関わらず、それから300年のちに国教と定めたことで今でもローマにキリスト教カトリックの聖地があるんですから。
不思議といえば、東ローマ帝国滅亡の一端となった十字軍も謎に満ちています。
東ローマ帝国がイスラム教徒の脅威を感じて十字軍派遣を頼んだのに、最終的にはその十字軍に首都だったコンスタンティノープル(イスタンブール)が占領されたりもしています。
ところ変わって、東ローマ帝国が滅亡の危機にさらされていた頃、神聖ローマ帝国ではボヘミア王カレル1世という人が皇帝になり、この人によって首都がプラハに移されました。
神聖ローマ帝国は9世紀から19世紀までの長きにわたって続きましたが、どちらかというと有名なのはハプスブルク家による統治ではないでしょうか。彼らの力によって15世紀には首都がウィーンに移されたため、プラハが神聖ローマ帝国の首都だったとはあまり知られていないのですが、たった100年ほどの間でプラハは世界に誇る美しい街並みを築くことになったんですね。
もともとローマ帝国で、その後神聖ローマ帝国になり、ドイツ系の影響を受けたプラハは建築物の美術館ともいわれるほど、様々な時代の建物があります。古代ローマの爪痕から栄華を誇った中世、そして神聖ローマ帝国崩壊後のキュビズム建築や社会主義時代の遺産、さらにはユダヤ人居住区などみどころ満載の街プラハ。2泊3日でその全てを回るのは到底難しいのですが、わたし達は特に、芸術に重きを置いて見学してきたいと考えています。
プラハを代表する芸術家といえば、今まさに東京へやってきている「ミュシャ(ムハ)」ですね。
「スラブ叙事詩」が全て東京に来ているため、日本から行くわたし達はプラハで見ることが出来ませんが(涙)美しい女性を描いた彼の作品を美術館で堪能してきたいと思います。
さらに、中欧の芸術といえば何と言ってもクラシック音楽!ウィーンが有名ですが、ザルツブルグ出身のモーツァルトらも、ウィーンから近いだけに度も訪れているのがプラハなんですね。事実、彼の作品の一つ「交響曲38番」(K.504)には『プラハ』という副題がつけられているほど。これはオペラ「フィガロの結婚」がプラハで大人気を博し、1787年、自ら指揮をして初演した曲だからなんだそうです。
隠れた音楽の都であるプラハの最高の名曲は同地出身の音楽家スメタナ作曲の「ブルタヴァ」でしょう。
わたしたちはプラハを流れるブルタヴァ川のほとりを散策しながら、「ブルタヴァ」を聴こう!と張り切っています。プラハ出身の偉大なる音楽家はスメタナだけではありません。
「新世界」や「ユーモレスク」が有名なドヴォルザークも同地出身。もちろん、プラハにはスメタナ博物館やドヴォルザーク博物館もあるので時間の許す限り見て回りたいと思います。
そんな音楽の似合うプラハでは、毎晩のように教会で室内楽の演奏が行われているそうなので、夜は絶対に聴きに行きますよ!
音楽以外にも「人形劇」というプラハ独自の芸術文化があります。人形劇はドイツ統治時代にチェコ語の使用を禁じられていたプラハで唯一、チェコ語での公演が可能だったものだそうで、チェコ人の思い入れはひとしお。人形劇もほぼ毎日公演しているそうなので、2日ある夜のうち1日は観に行きたいと思います。
観光は美術館のほかに、やっぱりユダヤ人居住区の教会巡りとプラハ城の見学をしたいですね。プラハ城だけでも1日で回りきれないほど広いようなので、心してかかりたいものです。
そんなこんなで、少しずつプラハの予備知識はついてきましたが、果たして無事にローマ帝国から神聖ローマ帝国へひとっ飛びできるのか!?最近、ついに破産したアリタリア航空を使いますが大丈夫なのか!?
不安と期待を胸に、出発までもう少し下調べを続けていきたいところです。
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