ローマ郊外珍道中2【2016.7イタリア旅行記10】

2016年7月イタリア旅行記。
前回までの経緯はコチラ⬇︎
さて、ヴィラ・デ・エステから出たあと、Piazza Galibardiにてランチタイムをしたわたし達。

例によって食事をまったく撮影していないのだが、カフェのとびきり可愛いおねーさんがオススメしてくれたカルボナーラを食べたら絶品すぎてビビった。

ここから古代ローマの最盛期ともいえる時代に君臨した温泉&別荘親父ハドリアヌス帝の離宮、「ヴィラ・アドリアーナ」へ向かおうとしたのだが…

サッパリ分からん。


ホテルマンの話では広場からバスに乗れってことだったんですが、どのバスに乗ったら良いか分からんのよね。

バスの運ちゃんに聞いたら、

「アドリアーナまで行くバスは少ないからこれに乗って『Villa Tiburtina』まで行きな。あとは10分くらい歩けば着くさ。」

って言われた。

暑いけどローマ市内ほどじゃないし、10分なら余裕で歩けるよね、ってんでそのバスに乗ってみた。

バスの運ちゃんは親切で、降りる停留所に近づいたとき、わざわざ振り向いてわたし達に「次!」みたいな仕草をしてくれた。

乗客が少なかったのもあるけど、旅行中はいつもイタリア人の親切に助けられているな、と実感する。

しかし!

バス停で降りてみたものの、そのあとの道のりがサッパリ分からん!


30分くらい、

普通の住宅地を彷徨い歩いた。


お店もないし、歩いている人もいないし、道を聞くこともできないなんて。

ちなみに、わたし達母娘は超絶方向音痴。


もはや、降りたバス停さえ見つからなくなり、

どこに戻って良いかも分からなくなった。


それでも、ここまで来たからには諦めたくない。とにかく、誰かを捕まえて道を聞くまで歩こうと頑張っていたその時!

なんか溝から水が噴き出してた。
シャワーみたいで気持ち良くて、水浴びを楽しんでいたらなんと道の向こうからカップルが歩いてくるではないか!!

「Do you feel good?」
みたいなことを女性に聞かれたので、笑顔で「Yes」と言ったら、その後ヴィラ・アドリアーナに行くのか?と聞かれた。

そうだ、と答えながら心の中で『救世主キター』って叫んだんだけど。

「わたし達もイマイチ分かんないの。」


まさかの発言。オーマイゴッド!

でも、男の意地かカップルの男性の方がなんとか道を探し出してくれて、やっと道案内を見つけることが出来た。

標示を見て、思わず「Yeah!」とどこの誰かも分かんない女性と手を叩いて喜ぶ。

彼らはフランスから来た、と言っていた。
しかし標識を見つけてから歩くこと10分、まだヴィラっぽいところにもアドリアーナっぽいところにも到着する気配なく、不安になりかけた。

そのとき、前の道路に現れたのはバス。
すると、フランス人のおっちゃんが走って、

バスを停めた。


バス停ではない。

イタリアのバスって、バス停じゃないとこで止まってくれるのね笑

意味不明なとこでタクシーみたいに止まったバスの運ちゃんに何事か聞いていたおっちゃん、しばらくして、

「あのバス、アドリアーナ行くみたいだ」

と女性を呼びに来た。

そしてさらに、バスに飛び乗った女性はわたし達も呼んでくれたので、一緒に乗せてもらうことが出来た!

イタリア人だけじゃなくてフランス人も親切だわ〜。


なんか旅の途中の助け合い、みたいな感じで楽しいひと時を経たあと、無事にヴィラ・アドリアーナに到着した。

Villa Adoliana

この地に離宮を作ったハドリアヌス帝は古代ローマ帝国全盛期ともいえる2世紀に活躍した皇帝である。

ヴィラ・アドリアーナは118年から着手され、完成したのは133年といわれている。

ギリシャのアテナイのアゴラにあった彩色柱廊を模したポイキレ、エジプトのアレクサンドリアとカノポスを結ぶ運河を模したカノポスなど、皇帝が魅了された建物や風景を偲ばせる建造物を建設させた。

別荘の建物の数は30を超え、敷地の面積は、1.2km2に及ぶ。

これを、また日本人に馴染みのあるたとえを使って表現すると、

東京ドーム約25個分

である。

すげぇ。
だだっ広い敷地内は自由に散策できて、木陰もたくさんあったからあまり疲労を感じることなくたっぷりと見学出来た。

至る所にある古代の建築物を横目に、フィレンツェ坊やの撮影にいそしむ。
ここはまるで、遺跡が放置された公園みたいな空間で、2,000年近く前の歴史的遺物を前に自由に歩けるなんて、

こんな幸せはほかにない。

と感じた。
ヴィラ・アドリアーナの中心にある池。ここから有名なカノプスなども遠くに見える。
背の高い木々と澄んだ空の反射がいかに美しいかを知り尽くしたような池の配置。 
ローマ時代の職人の技が光る。
ブーゲンビリアのような大輪の花がたくさん咲いていて、ピンクと緑、空の青と遺跡の茶色が絶妙なバランスで景色を作り出していた。
ハドリアヌス帝が作った遺跡は、雨風に晒されながらもしっかりと形を残していた。
土台の重厚さもローマ職人の腕がいかに良かったかを表している。
ここは景色もすごく良いし、のんびりと時折吹く爽やかな風に包まれて歩くのに最適な場所だった。
古代大好きな母も大満足のんびりと様子。
円形に開けられた人為的な構造は、要塞や砦、教会や宮殿造りなど後世の建築物にもたくさん取り入れられた。
一つ残念だったのは、

一番のみどころであるカノプスが修復中が何かで入れなかったところである。

しかしまぁ、これだけの古い建築物を目の当たりに出来たから良しとしよう。
木にぶら下がるミッフィーとキティー。

引っかかっているようにしか見えない。

ヴィラ・アドリアーナからの帰りはまた難解で、とりあえず施設の出口からバスが出てたんだけど、Piazza Galibardiには行かないっていうのね。

ローマまで戻る?広場まで行くバスはとても少ないから途中で降りてティヴォリ行きに乗り換えたら良い、ローマまで電車出てるよ。

と案内された。

えー、違う帰り方すんの!?


しかし、広場行きのバスがないってならしゃーない。

こんな感じでヴィラ・アドリアーナは、

交通の便がかなり悪い。


行くなら時間の余裕をたっぷり持って出かけることをオススメする。

とりあえずわたし達は言われたバス停で降りたものの、なんだか砂埃舞うゴーストタウンみたいなとこで、

柄のあんまり良くなさそうなイタリアン女子3人くらいに囲まれながら、

バスを待つことにした。

柄は悪そうだったけど特段、わたし達に興味を示す風でもなかったので、

スリをするロマではないと判断。


それでも戦々恐々としながら待つこと20分。
正直、今なら白タク(ぼったくりタクシー)が来ても乗ってしまうと思い始めた頃に、やっとティヴォリ行きのバスが来た。

やたらと混雑する車内に乗りガタガタの道を揺られること20分ほどで、

一応「Tivoli」って書いてあるバス停にはついた。


終点だから無理矢理降ろされたけど、その瞬間から途方に暮れる。

確かティヴォリには駅があって、そっからローマ行きの電車に乗れるって話だったけど…

駅らしきものは一切ない。


カフェに入って聞いてみると、歩いて15分くらいかかるとのことだった。

道は真っ直ぐで良いよ、と言われたのでティヴォリの街中を延々真っ直ぐ歩いた。

エステ家の別荘やハドリアヌス帝の離宮は街中の喧騒から外れた場所にあったが、ティヴォリの街は普通に都会である。お店もたくさんあるし、交通量も多い。

でも電車の姿は一切見えぬ。


不安になってきて、道行くおじさんに尋ねてみる。

ペッラペラのイタリア語が返ってきた。


そんなに得意げに話されても全然わかんね、と思ってたら、ふいに「ポンテガウンタラカンターラ」みたいなこと言われたので、
「ポンテ=橋だ!」と思いつき、「bridge?」と聞き返した。

するとおじさん、踊りそうなくらい身体中で喜びを露わにし、「Si!」と頷いた。
どうやらこのまま真っ直ぐ歩いて橋を渡るとティヴォリの駅らしい。

なんとなくヒラメキで理解できたので、やっぱり言語なんてテキトーでもなんとかなるのかもしれない。

おじさんと別れてから歩くこと10分。

Ponte見えてきたよ!Grazie!

それにしても、なぜイタリアまで来てつり橋を渡ってんだろ、わたし達。

そんな疑問も消えてしまうほど、橋身体中で見える景色はとても綺麗で、

なんか良い旅してるなー

って自画自賛してしまった。  
橋の向こうには住宅地が見えていて、渡り終えるとやっと駅が見えて来たけど、このティヴォリの駅、ビックリするくらいしょぼいし駅の入り口のドアが閉まっていたので、

廃墟かと思った。


構内に入ると人がいて安心した。

ホームに入って来た電車を見つめるわたしと偶然全く同じようなポーズを取っていた男性がいたので面白くて撮った、と後から母が送ってくれた写真。

確かに意味不明なシンクロが起きてる(笑)

ティヴォリからローマまでは各駅停車でのんびり車窓を眺めつつ約1時間。

この旅は普通列車に縁のあるものだったな、と旅行記をまとめていて思った。

異国でのローカル線の旅ってハラハラドキドキするけど、すごく楽しいです♪

火星人ペガサスの日常

読書と旅行と愛犬&ウサをこよなく愛する一般人。 こっそりタロット占い師をやっています。

0コメント

  • 1000 / 1000