ブログ再開のきっかけは祖母だった。
ブログを改めて、きちんと書いていきたいと思ったのは以前のブログをくまなく読んでくれていた祖母が今春亡くなったことがきっかけだった。
祖母自身、ホームページを作ったりブログを書いたりとPCに強い人で、亡くなる1ヶ月前にも旅行記を更新していた。彼女がこの世から姿を消してしまっても、ブログやホームページはサービスが継続する限りネットの波を漂い続ける。病に倒れた祖母の元気だった頃のブログ記事を読んでいると、まるで今でも会いに行けば普通に笑ってくれているような、そんな不思議な感覚を覚えるのである。
ネット社会は賛否両論あるが、少なくとも風化しない記録を残し続ける場としては最高の技術だとわたしは考えている。
祖母がネット上に遺したものを読んでいるうち、わたしも出来る限りやはり自分の人生を書き続けていたいと感じたのだ。
gooブログを始めるにあたって、まずはブログ再開のきっかけとなった祖母のことを少し書いてみようと思う。
83歳の祖母が入院したと、88歳の祖父から連絡があった。それも、すごいタイミングで。
遠方に住む叔母が、突然なにを考えたのか「明日帰るよー」とLINEの家族グループに送ってきた。
あら、叔母ちゃん珍しいわね、と思っていたら「なんて、エイプリルフールでしたー」とノーテンキな追伸が。
笑って良いのかなんなのか、どう返信すりゃ良いのか悩んでいたら突如祖父から「3/31お母さんが入院しました」と爆弾が投下された。
家族のLINEグループには、祖父母、娘である叔母と母、孫4人が参加している。
そういえば、ここのところ反応が早いはずの祖母からまったく連絡がなかったな、と思い返してとりあえずわたしは「おばあちゃん、どうしたの?取り急ぎお大事に。そしておじいちゃんも無理せずにね!」と返した。
「ありがと!おじいちゃんは元気です。」
祖父からの返信のあと、叔母と母からもそれぞれ、「お母さんどうしたの?」なんていう返信があった。
それに対して祖父は「ちょっと食欲低下とか胃腸の調子が悪くて検査入院してるけど、大丈夫だよ!」とだけ返してきたから、本当にたいしたことないんだ、ってその時はみんな、そう思っていた。
スマホを使いこなし今夏にはハワイへ行くぞと張り切っている、頭も身体もまだまだ元気な祖父だが、それでも88歳。普段は祖母と二人で仲良く暮らしているだけに、突然の入院は負担がかかるだろうなぁ、というくらい。
祖母とは今年の1月に、新婚旅行とセットでイタリア旅行に行ったばかりで、とても元気だったのだ。誰よりも歩いて、たくさんの観光して、食事もワインも楽しんでいた。
つい2週間ほど前には「旅行のブログアップしたから読んでねー」と弾んだ声で話していたところ。
そんなに急激な体調の変化が起きているとは、誰も考えていなかったのである。
しかし、一方で祖母は、よっぽどのことがなければ病院も行きたくないし、入院なんてとんでもない、「寝てりゃ治るわよ」と言い切る気丈な人だから、その祖母が入院しているということは、かなり体調が悪いのかもしれない、そんな不安にも襲われていた。
そういえば「結婚式に着るウェディングドレス、どれが良いかなー」とLINEしたあと、いつもならレスの早い祖母からまったく連絡がなくてちょっと不思議に思っていた。
ただ、本当に少し前まで元気だったから、なにかあれば連絡来るだろうなぁ、なんかスルーされてるけどまぁ良いか、とさほど重要には捉えていなかったのだった。
実は叔母も同じ不安を抱えていたらしく、「エイプリルフールの嘘が本当になっちゃうけど、とりあえずお父さんも一人だし、いったんそっち行くわ」と手早く航空券を押さえ、こちらに戻ってきたのが昨日。
そして今日、祖母の入院先に出向き、祖父とともに検査の結果を聞いた叔母は、仕事で見舞いに行かなかった母に涙ながら電話をしてきた。
「膵臓がん。余命が、早くて1ヶ月…」
わたしには、母から夕方、電話があった。
ちょうど仕事が終わり、帰宅直前に携帯を見て母からの着信に気づいたが、そのときすでにわたしの中では嫌な予感しかなかった。
「おばあちゃんね、末期の膵臓がんで…
もう手の施しようがないって…」
電話の向こうで母が泣いている。
高齢で病院嫌いの祖母が入院した、と聞いてからそれなりの覚悟はしていた。
でも、これまでも、肺水腫や舌がんで入院や手術をし、克服してきた祖母は、けして丈夫なタイプではなかった。舌がんも転移はまったくなかった。病院は嫌いでもその都度診察にかかっていたから、まさかそんな大きな病気が隠れているとは思ってもみなかった。
なにより、つい2ヶ月前、あんなに元気にローマの街を歩いていたのに?
どこも痛そうじゃなかったし、それどころか一番若い孫のわたしよりも元気だったのに?
2週間前には、あんなに元気だったのに?
末期の膵臓がんということは、1万km離れた異国の地を軽やかに、誰よりも若々しく華やかに満喫していた1月、すでに病魔が襲ってきていたということだ。
膵臓がんは、その生存率の低さと発見の難しさから「がんの王様」と呼ばれている。末期に至るまでほぼ無症状なだけに、発見が遅れることも生存率の低さに繋がっている。定期検診を受けていても、膵臓という部位がとても見えにくい場所にあり、早期発見はとても難しい。
末期になってようやく食欲低下や衰弱のほかに、背中や腹部、腰の痛みといった自覚症状が出るが、そのときには手遅れになっている。
今回、祖母が入院した直接の原因は食欲低下と倦怠感で、家の中にいても突然立っていられなくなったりして「これまでになく辛い」状況だった。
検査結果はとても酷で、すでに膵臓はほぼ全域が腫瘍に冒され、肝臓にも転移が見られるというものだった。
高齢になると黄疸や痛みなどの症状は出にくい、などの体験談をネット上で見かけた。症状の出方は人それぞれなので一概には言えないが、祖母の場合は特に肝臓の数値がかなり悪いようなので、倦怠感などは膵臓というより肝臓に起因している可能性がある。
「あとになって思えば、旅行前にも肝臓の数値があまり良くないって言ってたし、糖尿病の薬も飲んでたわね。」
そう、母が言った。
おそらくその頃すでに進行していたのだろう。
突然の告知に驚き、涙を流す母を前にすると、わたしにとっても大切な祖母だが、母というワンクッションを置いた存在なだけに、わたしはなによりも母が心配になった。
高齢、そして末期の膵臓がん。
医師はもちろん積極的治療を進めない。
そんな中で、明日は祖父・叔母・母とともに見舞いに行き、祖母へ病名を告知するか考えなければならない。
今日の時点では祖母本人に告知をしようというのが医師の姿勢で、叔母も告知派である。
祖母は、見舞いに来た叔母に「あと一年は難しいかもね」と言ったそうだから、病状的に祖母もなにかを分かってはいるのだ。
しかし、祖父は「もう一人、娘が明日来るので告知は家族で相談するまで待って欲しい」と言ったそうだ。
その、もう一人の娘である母は告知をしない派である。
舌がんのときは治療法もあり、それほど深刻な状況でなかったため祖母本人に告知を行なったが、今回は膵臓がん。
それなりの知識があれば、病名を告げるだけで余命宣告を受けたと感じてもおかしくないほど恐ろしい病名である。
少なくとも、もしわたしがそう告知されたら、残りわずかな命と覚悟を決めてしまうだろう。
それでも、もしわたしなら告知をしてほしい。
治療法がないにせよ、残された中でやりたいことを出来るだけ楽しみたいし、整理もしていきたい。
しかし、はたして、そもそも先の長くない高齢者に「膵臓がん」と告げる必要はあるのだろうか。
祖母には、これからも苦しまず、出来るだけ長生きして欲しいと願っている。
祖母はとても多趣味で、水泳が好きで、旅行も好き、自宅でPCを触るのも得意だし、絵を描いたりピアノを弾いたり、読書をしたり、今でも精力的に人生を楽しんでいる。
なんとなく生命の限界を感じている祖母に、病名の告知をしたとき、どう受け取るのか、生きる希望を見出せなくなって身体も心も病人になってしまうか、あるいは見切りをつけてうまく付き合っていけるのかが分からない。
がんの告知を受けても、体調が戻れば今までのように出来るだけ楽しんで生活できるなら、病名を知ることで体調不良の原因が分かり、スッキリするかもしれない。
でも、がんの告知をしないことで、回復したその先をさらに考えていられるかもしれない。
本人が一番望む方法を取るならば、「どこまで知りたいか」を聞いてみると良いのだろうか。
たとえば「検査結果が分かったらどこまで知りたい?病名が分かれば全部伝えたほうが良い?
それとも、あんまり知りたくない?」というように。
でも、こうやって聞く時点で、基本悪い想像しか出来ないよねぇ…
治療しないなら、病名を伝えなくて良いと思うんだけど、どうしたものか。
一方で、これから母が直面していくであろう様々なことを考えると、わたしは母の支えに少しでもなりたいと思っている。
明日、人生で初めての辛い状況を経験することになるのだが、今日母から状況を聞いて改めて自分自身、結婚していて良かったと痛感した。
母に無理して欲しくないから、わたしは母の前でしっかりと冷静にしていられる。
でも本当は、大好きで、つい最近まで元気だった祖母の、まさかの余命宣告に充分動揺していて、母からの電話を切った瞬間、居ても立っても居られなくて仕事中と知りつつ、夫の携帯を鳴らしてしまった。
母とは冷静に話していたのに、夫が電話に出た瞬間、思いっきり泣いた。
そうやって、感情をぶつけられる人がいて良かった。
そして、もう一つ思う。
これからどうなるか分からないけれど、元気な状態で祖母と海外旅行に行けた、そういう状況を作ってくれた祖母に感謝だな、と。
こんなに素敵な思い出は、なかなか体験できないもの。
長生きしてくれてありがとね、おばあちゃん。
そして、あと少しかもしれないけど、あと少しでも元気になって、願わくばもう一度だけで良い、祖母と一緒に、家族水入らずでどこかに旅行へ行きたいな。
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