8月2日「今日はなんの日?」
今のマイブーム、中野京子著書『名画で読み解くハプスブルク家12の物語』です。
この方の絵画解説本は読みやすいしテーマが面白いので、ド素人でそれほど深く絵画に造詣が深くないわたしでも絵画の面白さを感じることが出来るんですよね。
そもそも、わたしが絵画に興味を持ったのはたぶん10年近く前、西洋史の勉強を改めてしているときに色々集めた文献のひとつに中野京子著書の『怖い絵』シリーズがあり、絵画の背景から歴史を探るという作業に面白さを覚えたからでした。
あれから時を経て、芸術の宝庫ヨーロッパで本物の絵画をたくさん見たり、国内の美術館で開催される特別展に訪れたりしているうちになんと、中野京子さんの『怖い絵』をテーマにしたその名も『怖い絵展』が神戸で開催されることを知りました!
これは絶対行かねば!(*˘ᗜ˘*).。.:*♡
さて、西洋史の勉強といえば昔よく調べていたのが「今日はなんの日?」というテーマ。
思い出したので久々に調べてみました♪
8月2日、今日はなんの日?
・紀元前216年 第二次ポエニ戦争
カンナエの戦いでハンニバル率いるカルタゴ軍が、共和政ローマ軍を包囲殲滅する。
カルタゴといえば…
知将「ハンニバル」を排出した北アフリカ屈指の大国。現在のチュニジアに築かれた都市国家で、強大な力を持って周辺諸国を征服してきたローマ帝国に一矢報いたが、最終的には滅亡させられた。
古代ローマはひとくくりにしてしまうと東西ローマ帝国に分裂するまでの3つに区分できる。
1.王政期(B.C753〜B.C509)
2.共和制期(B.C509年からB.C27年)
3.帝政期(B.C27年〜B.C286)
有名なジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)は共和制を廃止し帝政にしようとしたが夢半ばにして暗殺され、養子アウグストゥスがその志を叶えた。
カエサルといえばクレオパトラとの恋が破滅を導いたことでも有名だ。ちなみに7月を表す英語『July』やユリウス暦はカエサルの名前から、8月を表す英語『August』はアウグストゥスの名前からそれぞれ来ている。(元はラテン語由来)
カルタゴの話に戻ると…古代ローマがもっとも栄華を誇った共和制ローマ時代、カルタゴは再三ローマに攻め入られたものの、ハンニバルの活躍によりその繁栄に一矢報いた。ただし、「ポエニ戦争」と呼ばれるこの戦いでは常にローマが勝利し、最後は『二度と復活出来ないよう』市民は徹底して虐殺され都市は完全に破壊されてしまったのだった。
カルタゴといえばターナーが描いた絵画も有名だろう。
1815年に描かれたのは「カルタゴ帝国を建設するティド」。伝説によるとカルタゴ帝国は女神ティドによって築かれた年だった。美しい建築物と活気ある人々の様子を描いたターナー。
その2年後、1817年には「カルタゴ帝国の衰退」という絵画も製作している。
ほぼ同じ構図だが太陽は雲に隠れて存在が薄くなり、疲弊した様子の人々がローマ帝国の暴虐ぶりとカルタゴ帝国の衰退を物語っている。
ターナーは猛威を振るっていたナポレオンの凋落をカルタゴ帝国をテーマにした絵画で暗に伝えたそうだ。平家物語にもあるが「盛者必衰」の理は古代から近代、いや現代に至るまで変わらない。
・紀元前47年 ローマ内戦「ゼラの戦い」
ガイウス・ユリウス・カエサル率いる共和政ローマ軍がポントス軍を破る。
カエサルが元老院に伝えた戦勝の言葉、
「来た、見た、勝った」
が有名だ。これはつまり、戦いの決着があまりにも早くついてしまった、という意味を表している。
・1221年(承久3年7月13日) 承久の乱
この辺の日本史はややこしい、ややこしいから面白いのだけど、平家の台頭によって勢力を失いつつあった貴族らが、この承久の乱以降は完全に失墜してしまい完全なるお飾りと化したように感じる。承久の乱は当時の執権北条義時(鎌倉幕府)を後鳥羽上皇が追討しようとして起きた事件だが、逆に幕府の大軍に返り討ちされ隠岐に流されることとなった。その後、後鳥羽上皇は京に帰ることなく許されないまま崩御した。幕府が朝廷を牽制するための犠牲になったともいえるだろう。
・1802年 ナポレオン・ボナパルトが憲法を改定、自らを『終身統領(終身執政)』と規定した
ターナーの作品、『カルタゴ帝国の衰退』は暗にナポレオンの失脚を伝えていると述べたが、その15年前、彼は栄華を誇り、
『我が辞書に不可能はない』
という有名な言葉を残した。その当時、やりたい放題だったナポレオンが改訂した憲法だが、もちろん彼は亡くなるまえに統領の地位を追われ「終身統領」は叶わなかった。
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