2017.4.13 別れの足音

2017年1月9日関空で祖母・母と待ち合わせ。
10時25分発KLMオランダ航空のアムステルダム行きに搭乗、飛行機は約11時間かけてスキポール空港に現地時間15時到着。
飛行機の中で眠れない質の祖母・わたしの夫を横目になんとなく眠るわたしと爆睡する母。
祖母と母はわたし達夫婦の後ろの座席で、時折トイレに行く際、祖母がやたらと柔らかな身体で器用に足を上げて体操している姿が目に入った。
ほとんど眠らずにスキポール空港へ着いたのに、祖母は誰よりも元気だった。
オランダの空港なのに、もう気分はイタリア!で、練習してきたイタリア語をカフェのお姉さんに話しかけて、わたしと母の笑いを誘ってくれた。なんだかんだでカフェのお姉さんには通じていて、一緒に写真を撮ったりとトランジットの時間も楽しんでいた祖母。
スキポール空港から2時間のフライトでローマに着いたとき、とにかくまずは無事にここまで夫と祖母を連れてこれたことに、わたしと母は安堵した。
イタリア滞在中も病の欠片も見つからないほど祖母はずっと元気で、2日目はコロッセオやフォロ・ロマーノ、3日目はバチカン美術館、そしてわたしと夫がフィレンツェへ行っている間、母とともにカピトリーニ美術館やローマ郊外の古代遺跡オスティア・アンティカを回ったそうだ。祖母は多趣味で、特に絵画などの芸術に造詣が深かった。
最終日にはスペイン広場やトレビの泉をゆったりと回り、お買い物を楽しんだ。一緒に露店を巡って格好良いアウターを買ってもらった。母とわたしのファッションショーに付き合ってくれて、アドバイスをたくさんくれた。祖母は若い頃からとてもオシャレで天性のセンスに恵まれていたのか、安い服でも少ないアイテムでもあっという間に素敵なコーディネートをすることが出来る女性だから、ファッションの国イタリアのお買い物はとても楽しかったみたいだ。
7泊9日の旅を終えて関空に着いたときもやっぱり元気だったし、1月の後半に会いに行ったときも、2月に泊まりに行ったときも、とても元気だった。
4月には韓国、7月にはハワイに行く予定で、10年以上に渡って様々な国を共に歩んだスーツケースを、1月のイタリア旅行を機に買い替えたばかりだった。
ハイテクばぁちゃんで写真撮影も趣味だった祖母は自分のホームページをもう20年近くやっていて、旅の記録をつけていた。1月のイタリア旅行についても、素敵な文章とセンス抜群の写真をアップし、「出来たから見てね〜」と3月半ばにLINEでお知らせをくれていた。
わたしが6月に結婚式を挙げるという話をしたのが、やはり同じ3月の半ば。張り切って行く!と言ってくれて、わたしは『カメラマンならおばあちゃんがいるから安心だわ』と思っていた。
結婚といえば、1年前、2016年の正月のこと。
結婚に関してまだ迷いがあったわたしに祖母は色んなアドバイスをくれた。祖母と母、親子三代で夜中まで語って頭の中がスッキリし、同時に、三十路を過ぎても元気な祖母と母、親子三代で語り明せる幸せに涙が出たのを覚えている。
あのときの祖母の言葉がなければ、わたしは結婚していなかったかもしれないし、結婚していてもなんとなく不安が募っていたかもしれない。
祖母はいつだって、人生のアドバイスを求めると短く明快な一言でわたしの迷いを断ち切ってくれた。
3月下旬、祖父との韓国旅行を目前にしながら、食欲低下と下痢、極度の倦怠感で動きづらい日が1週間ほど続き、起きていられなくなった。
なんとか韓国旅行までに体調を治したかったのだろう、寝ていても治らないから、と入院の3日前には祖父と散策し、公園でボール投げをして遊んだそうだ。
それでもイタリア旅行のときみたいな元気さを取り戻せず診察を受けに病院へ行った祖母。
2年前、舌がんで入院治療をした、同じ病院で診察を受けた結果、明日もう一度検査をするから来てくださいと言われ、血液検査の結果、肝臓の数値が異常に高いことから3月31日に入院が決定した。
その時点ではまだ、祖父はそれほど大きな病と捉えていなかったようだが、当本人の祖母はなんとなく気付いていたのだろう。
韓国旅行をキャンセルしよう、2月に更新したばかりのスポーツジムも解約したほうが良いかもしれない、と言っていたらしい。
4月に入ってすぐに胃腸の検査を受けたが、結果は異常なし。しかし相変わらず食欲が出ない。入院の1週間前からお粥しか食べられなかったそうだが、入院した翌日の時点ですでにまったく食べられない状態になっていた。
胃腸に問題がないため今度はCTを取り、4月3日に改めて検査結果の報告があった。
「膵臓がん末期、余命1〜3ヶ月」
突然の宣告に家族一同慌てふためいたが、それでもこの段階ではまだ、退院できると考えていた。
検査結果を受けて、祖母に告知されたのが4月4日。この時点で、1.祖母が望んでいない 2.高齢 3.治療の効果が得られるとは考えられない状況、という点を考慮して延命のためであっても抗ガン剤投与は行わないことに決まった。
緩和ケア病棟の案内があり、祖母も自宅より入院を希望したため、空きが出たらすぐに連絡すると説明された。
このとき、祖母は食欲がなく下痢が止まらないという症状に悩まされていたものの、それ以外の痛みなどがなく、点滴とステロイドにより顔色も良く、少しふっくらとしてみえていた。
緩和ケア病棟に入るために必要な緩和ケア科の診察を予約しなければならず、その予約が3ヶ月待ちで最短6月14日になると看護師から案内され、予想外の長さに驚くとともに「その頃までは大丈夫ってことなのかしら?」と希望的観測が芽生えた。
祖母は病状の説明を受けたり、緩和ケア科の案内をされたりすることで病気の具合をある程度把握でき、安心したのか病室に戻ると思いの外元気な様子だった。
とりあえずしばらく、食欲不振や下痢に改善が見られるあたりまでは入院中の消化器内科の病室にいるのかと思っていた矢先。
祖母への病名告知から2日後の4月6日に突然緩和ケア病棟に空きができたと連絡があった。
有料の個室だが、祖母の望みもありすぐに緩和ケア病棟への移動が決まった。
4月7日、一緒にイタリア旅をしたわたしの夫とともに見舞いへ行くと、とても喜んでくれた。
やはり食欲は戻らず流動食を食べている状態だったが、点滴を外していたこともあり、病人にはみえない様子だった。親戚が来ていたので祖母を囲んで写真を撮る。緩和ケア病棟の病室は個室ということもあり、本当にあまり病院らしさがなくてとても良い写真になった。
祖母が入院してから、わたしと母には仕事のほかに、挙式のドレスに合わせる小物選びの予定があり、母と二人でドタバタした。どうしてこんな時期に挙式しようと考えたのか、と自問自答するくらい忙しくてフラフラ。
疲れで痩せるかと思っていたけど、3週間ぶりに着たドレス姿を見ると逆に太ったような気もして愕然とした。
挙式に関しては祖父母が楽しみにしていたこともあるし、祖父は今のところ元気なので、予定どおり行うことにしている。
検査結果を告げられた日、初めてお見舞いに行った段階で祖母にドレスの写真を見せて選んでもらった。
そのウェディングドレス姿を実際に見てもらうことは恐らく難しいけれど、選んでもらえただけでも良かったと思う。
祖母が緩和ケア病棟に入って1週間後の4月13日。
小物選びが終わって、祖母に付き添っている叔母に電話したところ、血液検査の結果が非常に悪く、余命が1週間程度だと医師に告げられたと話があった。
祖母が83歳とは思えないほど若々しく華やかで、元気良くローマの街を闊歩していたのは、わずか3ヶ月前。それなのに入院してからのたった10日間で余命宣告、緩和ケア病棟への移動、そして再度の余命宣告…と速すぎるスピードに、わたしを含め家族は現実味が湧かないまま受け入れていくしかなくなってきている。

火星人ペガサスの日常

読書と旅行と愛犬&ウサをこよなく愛する一般人。 こっそりタロット占い師をやっています。

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